日本の陶芸史

やきものの始まり

 陶芸の始まり

 人類はその発生から進化を続け、道具作りも学習しました。陶芸で作られた道具は、人類史上最も古い技術であり芸術形式のうちの一つでした。そして、進化した人類にとって、現在でも主要産業であり続けています。
 最初期の陶芸は粘土を手でこねて、それを焚き火の中に入れて焼いていたと考えられています。火の発見利用が陶芸技術を生み出しました。

 当初は焼成時間は短く、火中で得られる最高温度は900℃前後と想像されています。しかし温度の分布のむらも多く、すべてが満足した結果とはならなかったでしょう。
 焚き火による土器には粘土の中に砂や砂利、砕いた貝殻、土器の破片などを混ぜて焼成されました。これは一定の結果を残しました。素材を粗くして粘土に含まれる水分や可燃性の成分、揮発性の成分が自然に放出されるようになりました。さらに、粘土内の粗い粒子成分はは、冷却中に起きるやきものの収縮を抑え、熱による破損の可能性を低減させる役割もありました。
 一般的に、初期の焚き火による土器生成は、破損の避けるために、突起物を極度に少なくして、全体に丸く円形の底を持った物が多く制作されています。
 時代が進むと、焼成のための窯を焚き火から人為的に作った窯に進化します。初期の物は、地面に穴を掘り、木材など可燃物で覆った穴窯であり、横に広げた横釜でした。これらは地面に開けた穴は、熱の喪失を遮断して、焼成の精度をあげました。

 最近まで焼き物の最も古いものは、紀元前10500年頃のものとされている日本の縄文時代初期の縄文式土器といわれていましたが、さらに古い土器が中国で発見されました。
 現在最古のやきものの器とされるものは中国南部の玉蟾岩遺跡から発掘されたもので、2009年の米国科学アカデミー紀要では、これら土器は、最新の炭素年代測定によりその年代が測定されて、生成期は18000年前に遡るとされています。

 陶芸の研究は過去の人類文化探求と同義であり、人類の歩みを研究することです。やきものは丈夫であり耐久性に優れています。ほとんどの遺物は、腐敗や風化などにより劣化が進みますが陶芸作品は過去を雄弁に物語ります。
 発掘される遺跡の中でもやきものや、その破片などが残存していることが多く、他の証拠と組み合わせることで、陶芸の遺物の研究が進んでいます。陶芸の研究は、やきものを生産して利用する古代社会の構成、経済状況、文化的発達などに関する理論の研究に寄与しています。さらに過去の時代、文化における日常生活、宗教、社会的関係、交易、戦争の歴史まで様々な状況を推測することができます。

 日本最初のやきものは縄文式土器とされています。これに続いて弥生式土器が作られ、大陸の影響を受けながら、日本独自の進化をしました。古墳時代には土師器・須恵器が作られるようになります。平安、鎌倉、江戸時代と進化しています。
 陶芸には優秀な陶土が必要です。全国各地のやきもの生産地は、陶土採掘地でもあり、古くから全国でやきものの歴史が続いています。